LGBTと性同一性障害(GID)

社会では、同性愛と性同一性障害を混同しているようです。性同一性障害の当事者にとってはLGBTとして一括りにされることで困る状況にあります。

性同一性(ジェンダー・アイデンティティ:性自認)

性同一性(ジェンダー・アイデンティティ:性自認)とは、『自身がどの性別に属するかという感覚__自分が男性、女性、あるいはその中間のいずれであることの自己の認識』をいいます。
性役割(ジェンダーロール)とは、社会においての性(ジェンダー)に基づいた自己表現の方法です。服装、話し方、ふるまいなどで、男らしさ、女らしさを表すものすべてが含まれます。
ほとんどの場合、ジェンダー・アイデンティティと解剖学的な性別および性役割が一致しています。たとえば、男性は心の中で自分を男性として認識するとともに、人前でも男らしく振る舞います。

GID当事者は、性同一性(性自認)と身体的性別とに著しい性別の不一致感、違和感があります。

性的指向

性的指向(性指向)とは、いずれの性別を恋愛や性愛の対象とするかをいう、人間の根本的な性傾向のことを指します。人の恋愛・性愛がどういう対象に向かうのかを示す概念を言います。具体的には,恋愛・性愛の対象が異性に向かう異性愛(ヘテロセクシュアル)同性に向かう同性愛(ホモセクシュアル)男女両方に向かう両性愛(バイセクシュアル)を指します。

GID当事者の一部の方にも性的指向が同性やその他の性に向いている方もいます。オネエの方もいます。

異性愛が大半を占める世の中で、歴史に記述してあるような事から、現在においても性的指向や性自認が「普通」から外れた当事者らには生き辛い社会となっています。

「オカマ」はMTFへの差別用語

「オカマ」は男性同性愛者の一部の人を指す言葉で、性同一性障害のMTFを指す言葉ではありません。
「オカマ」とは元々は肛門を意味する江戸時代の俗語であり、アナルセックスをする・される女装をする男娼を指し、1980年代頃から女性的な男性全般(非同性愛者含む)への名称(蔑称)になりました。オカマとは、男性同性愛者が自虐の意味を込めて自称する性的嗜好ともされています。日本では現在でも、生得の男性の同性愛者がメディアで「オカマ」を自称し出演してきた事などで、社会に気持ち悪い、変な人間という悪い印象を刷り込んだ経緯があります。
ホルモン治療や手術を受けても、骨格自体を変えることはできないので、男性的な体格のMTFは、その外見から「オカマ」として認知されてしまう方がいます。
GID当事者に対して「オカマ」を使うのは差別にあたります。
街角や学校、職場などで「オカマ」と奇異な目で見られたり、気持悪がられ、セクハラを受け、就職もうまくいかず多くの差別的扱いを受けているのは、殆どが性同一性障害のMTFの方といってもよいかと思います。

性指向と性自認は別物

FTMの場合、本人は「男性」としての性自認があります。特に治療前の者は身体的特徴を変えられないので、恋愛(対象は女性)をすると、周囲から「レズビアン」と言われる事がよくあります。しかし、「レズビアン」とは女性同性愛者を指します。GID当事者らは、「自分は男。彼女のことを同性として好きなのではなく、異性として好き。」なのです。"女"として認知されることに苛立ちや落ち込むGID当事者は多いです。

LGBT

同性愛者などは、"同性"の相手を好きになる人をいいます。つまり、「オカマ」は"男性を好きにな男性"という事です。
「レズビアン」は女性同性愛者を指すので、"女性を好きな女性"ということです。恋愛や性愛が同性に向いている人は「性指向」の面で社会で辛い思いをしています。ですが、悩む本質が性同一性障害とは違います。性同一性障害は恋愛や性愛の問題で辛いのではないのです。

この本質が違うことを知ることで、同性愛者が自分は性同一性障害なのか?と悩むとき、二つを切り離して自分の性自認について向き合う事で頭が混乱しません。
例えば、MTFで同性愛の当事者が親にカミングアウトしたときに「"同性愛者"の殆どが治療を受けていないから、あなたも治療する必要ない。」と言われる場合があります。本質的に同性愛と性同一性障害は大きく違います。

中には、同性愛と性同一性障害の二つを持つ当事者がいます。その場合、両者の違いを知り、それらは自分の尊い一部なのだと受け入れることが肝心です。性同一性障害も同性愛も否定されるべきものではないのです。それは人間のみならず、自然界のあらゆる所に存在しています。

差別と偏見は人権問題です。決して間違った存在ではない「性同一性障害」や「同性愛」で生まれた者が、社会から差別や偏見で苦しんでいます。本来ならば伸びのびと育ち、学問を習い、仕事や家庭を持つはずなのです。ですが、GID当事者は人間として尊重される生き方ができずにいます。
大衆は模倣することによって周囲と一体感を感じ、孤独を緩和します。宗教や教育者、マスメディアなどの"社会を教える立場の人"の考えよって人間の価値観や社会は操作されていると思います。本人の意志でなく生まれ持った素質に対しても異常だとか優劣をあてはめ、人権問題にあたる曲がった考え正すためには、行政や宗教などの大衆操作を行うトップ機関が本腰あげて、人権問題に取り組み、性自認や性指向への差別の偏見をなくしていって欲しいものです。