性同一性障害の歴史的背景

性同一性障害はいつから社会に認識されるようになったのでしょうか。その背景は、宗教や文化的習慣などと深い関わりを持っています。日本やアメリカ・ヨーロッパでの歴史的な違いを軽く紹介します。トランスジェンダーという概念は海外における非常に厳しい社会的批判の時代を経て生まれていきました。トランスジェンダー、Transgender、性同一性障害、Gender Identity Disorderの英語、日本語の用語や概念は比較的新しいものです。

日本の歴史的背景

昔からトランスジェンダーや後の性同一性障害は存在しています。
日本では、遺跡から出土する人骨から、性別を越境した人たちが双性の巫女など、宗教的職能をもって社会の中で活動していた痕跡がいくつか見られます。

日本の絵画史料では、平安時代から近代にかけて、非典型な性の有り様の人たちに特定の社会的役割、職能(神と人との仲介をするシャーマンなど)を与えて、社会的存在として認める社会のようでした。宗教規範が日常の社会生活に大きな影響力をもっていた前近代の社会で、同性愛(男色)や異性装、さらには性別の転換を禁じる宗教規範がありませんでした。神道も異性装を拒みません。

異性装、とりわけ女装を伴う祭礼は全国各地に今でも残っています。江戸時代の歌舞伎の世界の女形は日常から女性として生活し、男性であるのに女性として生活していた人が現代ほど偏見を受けることなく存在したということです。

海外の歴史・研究から

キリスト教社会における「男は男、女は女」という宗教的規範は非常に厳しいものです。旧約聖書の『申命記』の中に「男は女の格好をしてはいけない、女は男の格好をしてはいけない、なぜなら神はそういう格好をする人を忌み嫌うからである」と異性装の禁忌が記されています。前近代では、同性愛者、異性装者、去勢者は神の教えに背く「背教者」であり、聖書に忠実である限り、殺されるか、共同体から追放されるかで、社会的に存在は許されませんでした。

1800年後半では、ドイツや欧米で社会的性の基準に従わない人々の研究が行われ、Harry Benjaminは「Transsexual」という言葉を浸透させました。アメリカでは、1950年にChristine Jorgensenが性転換手術を受けたことがメディアで大きな注目を浴びた事で、その研究が盛んになりました。

厳しい宗教的規範のある歴史背景の中でも、体の性と自分が認識する性が異なる人を理解するために、ジェンダーの概念は必要でした。1950年代から1960年代にかけ、アメリカの心理学者・性科学者 John Money、精神科医 Robert Stoller らは、身体的な性別が非典型な状態の性分化疾患の研究において、その当事者に生物学的性別とは別個にある男性または女性としての自己意識、性別の同一性があり、臨床上の必要から「性の自己意識・自己認知(性同一性)」との定義で“gender”を用いました。1960年代後半から “gender identity” とも用いられます(以降も医学・性科学では “gender (identity)” は「性の自己意識・自己認知(性同一性)」の定義で用いられており、後の社会学において定義される意味とは異なります)。
アメリカではこういった研究が昔から行われてきましたが、日本にはそういった研究の歴史がないため、ジェンダーという概念を輸入しているわけです。

20世紀以降の日本

日本では、1950年代には「性転換」に関する外国の情報量が増え、かなり盛んに性転換手術が行われていました。1969年の「ブルーボーイ事件」によって、「性転換手術」は優生保護法違反であるとの一人歩きで、暗黒の時代を迎えます。
その後30年近く、多くの医療機関が、青木医師が有罪になったということを重く受け止め、性転換手術に対して消極的な態度を取るようになってしまいました。

埼玉医科大は1995年同大の倫理委員会に、男性への性転換手術を希望する女性の手術の承認を求める申請をおこない、
この「暗黒の時代」を打ち破るために、日本精神神経学会・性同一性障害に関する特別委員会は、1997年に「性同一性障害に関する答申と提言」のなかで「性同一性障害の診断と治療のガイドライン」を公表しました。1998年、埼玉医科大学において、日本で初めて公に性同一性障害の治療として性別適合手術が施行されて以降、次第に臨床活動が普及するようになりました。

日本で性同一性障害という言葉が広がり始めたのは、2000年前後からです。
人気ドラマでFTM(身体的には女性で男性の自覚を持つ)が取り上げられた影響もあり「性同一性障害」という言葉がどんどん世の中に広がっていきました。

2003年、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(特例法)が成立し2004年7月から施行されました。 この法律によって、性同一性障害者は、性別適合手術の実施を含む一定の条件のもとで戸籍の性別変更ができるようになりました。

近年の日本

2013年、「性同一性障害」で戸籍の性別を変えた夫が、第三者から精子の提供を受けて妻が出産した子供を、法律上の夫婦の子と認める判決を出しました。
従来、法務省は「夫に男性としての生殖能力がなく、子との血縁関係がないのは明らか」として、性別変更した男性と子を法律上の親子とは認めていなかったため、戸籍の父親欄を空欄とする運用が続いていました。 その後、同じようなケースで産まれた子どもを「嫡出子」として戸籍に記載されるようになりました。

2013年に発表された、DSM第5版では、以前の性同一性障害 (gender identity disorder) の診断名が性別違和 (gender dysphoria) に変更されました。
現代の日本においては、性同一性障害の中核群もしくは周辺群にも該当せず、治療も望まないが、自身の性別に対して多少の違和感を覚えている患者が、医師に対して診断書を要求した場合に記される病名です。